2018/06/24
一度立ち止まったものを、もう一度動かすのは本当に難しい。
立ち止まってしまったことも走りたくないと思って籠ってしまったこの3週間もハッキリと言えば逃げだ。嫌なことを人に押し付けてしまうし、批判に打ち勝っていくことも全くできないし、連絡もシャットアウトしてしまう。
酷いかもしれない。だけど、立ち止まって自分の苦しみとかしんどさに対して忠実になったからこそ、自分の今進みたい方向や自分が楽しめる方向も見えたような気がする。
その気づきであったり、自分の気持ちは向き合いたい人にだけ伝えようと思う。
3週間の間、ネガティブなことしか考えられず挙げ句の果てには死ぬことばかり考えていた。布団にくるまりながらもう出たくないって思ったし、家から出れる日も踏切で電車を見て、交差点で車を見て飛び込んだら死ねるのか…と思ってた。
でも、本当にしてしまったら痛いだろうし、死ぬのならまだやり残したことがあるって思っちゃうから死ねない。死ぬことすらできないのだ。
死ねないなら、結局は生きるしかない。
生きるしかないなら、精一杯生きるしかない。変化できるかは自分にかかっている。
そう、青空の下を歩いてて感じた。
本当に生きるってめんどくさい。選んだ自分がいるからこそ苦しむ。
器用に生きれないし、生きることなんてさらさら望んでいないのは分かっている。それでも、自分が病んでどうにもこうにも動けなくなるとき器用に生きる人は楽なのだろうかと考えてしまう。
そんな人生、絶対に無理だと分かってはいる。分かってはいるんだ。
そうだけど、もしも…と思い浮かべてしまう。
走りたい気持ちはあるけど、身体や熱量が追いつかない自分がいる。それがもどかしい。
そして、不安にもなるんだ。
6月1日に6000mペース走をやった時には17'59"で5000mを通過できたのにな。走ることすら億劫だし、身体の周りについた脂肪がやる気を削ぐ。集中力もまったく持たない。
まだ自分は走れるようになる自信もないし、目的も定まらないし、本音を言えばもう少しだけ休ませてもらいたい。
自信もなにも喪失してる自分なんて見られても、もう見ないでくれ、離れたいとさえ思った。
そんな自分にも心配してくれて、会いたいって言ってくれて、励ましてくれる人がいてくれたのはとっても嬉しかった。
自分が思っていたよりも時間はかかるかもしれない。だけど、変わったとしても自分が納得した答えが出せて、また楽しく走れる未来にしたいと思います。